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後書きに、泣ける。
作家、重松清の決意と覚悟が伝わってくる後書きに感動する。

少し長いけど、引用します。

(以下、引用)
哨兵は、かなしい。
彼の務めは見ることである。
見張り塔にのぼって、ただ、見る。
うららかな春の陽射しを浴び、
薫風に吹かれ、入道雲を仰ぎ、
虫の音を聞き、木枯らしに凍えながら、
彼はひたすら町を見つめる。

異常なしー。
その一言を報告すれば、哨兵の仕事は終わる。
しかし、そこに任務を完遂した喜びや充実感は、
たぶん、ない。異常がないということは、つまり
彼が見張り等に立っている必要はなかったということ。
彼の一日は、無駄に終わってしまったということ。
もちろん、異常などないに越したことはない。
哨兵が無為に過ごす日々が長くつづけばつづくほど、
彼の見つめる風景はおだやかになる。
それでいい。

「使わないとき使うものって、なーに?」
「お風呂の蓋」
というなぞなぞよろしく、将兵は自分の存在を
忘れられてしまうことで人々の平安を得る。
もしかしたら彼の背負った任務は、ある種の
人身御供にも似た性格のものなのかもしれない。

だが、「異常なし」の日々は決して永遠にはつづかない。
彼はいつか、町の人々の平安をおびやかすものを
見てしまうだろう。
いつになるかはわからない。十年後かも
しれないし、来週かもしれないし、明日かも
しれないし、今、この瞬間がすぎたあと、
かもしれない。まばたきひとつで世界が変わる。
なにげなく放ったまなざしに、なにかが
飛び込んでくる。彼は町の平和を「観察」
することではなく、好もしからざる
何かを「目撃」してしまう瞬間のために、
見張り塔に立っているのだ。

町に訪れる厄災を、彼は誰よりも早く見る。
見てしまう。そして、現場から離れた
見張り塔にいるかぎり、なにもできない。
一心に「異常発見!異常発見!」と叫ぶ
以外には…。
「かなしいと思いませんか?」
と僕は言う。
(以上、後書きより引用)

作家、重松清は、当時(たぶん今も)、
週刊誌や雑誌に記事を書くフリーライター
だった。
雑誌社から依頼される仕事を日々こなし続ける。
文字通り、世界の片隅に起きる事象を目撃し、
読者が喜ぶような記事に仕立て上げる、
そんな仕事をしてきた。

この本は彼にとって4冊目となる小説だ。
3冊目で小説を書くのはもうやめようと、
そんな風に思っていたらしい。
でも、彼は決意した。
これからも小説を書き続けようと。
この短編集に冠したタイトル
「見張り塔から ずっと」
は、そんな彼の覚悟を表したタイトルだ。

彼は見張り塔に立ち、哨兵のように社会を見て、
小さな変化を「目撃」し、知らせ続けることを
自らの小説家としての在り方にしようと決めた。

僕は、この後書きを読んで思った。
僕もそんな生き方をしようと。

社会で起こる出来事や、すでに起こった出来事を
曇りのないまなこで見つめ続け、その事実の
向こう側に潜む意味や価値を考え続ける。
そんな人であろうと思った。

改めて読み直してみて思った。
「ちゃんと見てるだろうか?」
「お前の目は、曇ってないか?」
「小さな変化を見逃してはいないか?」
と。

この本を通じて、改めて重松清という作家の
ファンになった、そんな一冊です。

やっぱり、暗いけどね(笑)

見張り塔から ずっと(新潮文庫)