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あっという間に読めてしまうほど面白い。
でも、読み終えた後、ものすごく重い…。

人が人を裁くことは可能か?

私刑という言葉がある。
死刑じゃない、私刑。

私刑
個人や集団が、法律によらずに加える制裁。
私的制裁。リンチ。
(デジタル大辞林)

それはダメでしょ!と、誰だって思う。

日本では、
何人も、法律の定める手続によらなければ、
その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の
刑罰を科せられない。 — 日本国憲法第31条

と、憲法で私刑が禁止されている。

ということは、逆に、法律の定める手続きを
経れば、生命を奪う刑罰を科すことはできる
ということ。

それが、死刑。

私刑は人によって、死刑は法律によって、
人の生命を奪う。

死刑に関して議論するような時には必ず
と言ってもいいほど、こんな話題が出る。
自分の愛する人の命を奪われた場合、
奪った相手を殺したい、殺してほしい
という感情を持つことは当たり前だ、と。

もしも僕がそういう立場になったら、
(なっていないのでいう権利はないかも
しれないけど)同じような感情になると思う。

自分の大切なものを奪われた悲しみや憎しみは、
行き場のない怒りとなって、その矛先を犯人に
ぶつけたい!という衝動が抑えられるかどうか、
僕だって疑問だ。

自分のことじゃなくても、そういう感情はある。
テレビや新聞で、凶悪な犯罪を目にした時、
こんな奴は死刑だ!と思う感情も、誰にだって
あると思う、多分。

だからもしも自分が刑務官だったり検察官だっ
たり、刑事だったりした場合、悔恨の情や
更生の可能性を感じさせない犯罪者に出会った
ら、同じように極刑を望む感情を持つかもしれ
ない…とも思う。

でももし、自分が刑を執行する刑務官という
立場になり、自ら死刑囚の生命を奪うという
ことになってしまった場合、いくら法律による
殺人の一端を担うという役割(仕事)だとしても
一人の人間をあの世に送ったという「罪の意識」
の重さに耐えられるだろうか?

法律による刑の執行なのだから、自分は関係
ない!と、思い続けられるのだろうか?

僕にはまったく自信が持てない。

人が人を裁く。
法律による裁きであっても、最終的には人が
罪を背負うことになってしまうことは、ある。

死刑も、戦争も。

正当な理由があろうがなかろうが、
人が人を裁き、生命を奪うことで背負う
罪の意識は、果てしなく重い。

13階段 (講談社文庫)