本の森030 寅さんとイエス 米田彰男(筑摩選書)

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寅さんになりたい、寅さんでありたいと感じた一冊。

この本の筆者は、神父だ。
だから寅さんとイエスのイエスとは、
もちろんイエス・キリストその人のことだ。

寅さんとイエス?!
あのフーテンのやくざ者と、イエスを一緒にするなんて、
デリカシーがない!と思われる方もいるかもしれない。

でも、この本を読むと、そのような考えは一変する。
そして、僕たち日本人の多くをファンにしてしまう、
寅さんという人物に対する尊敬と憧れが芽生えてしまうのだ。

本の森028「あらしのよるに」の時にも書いたが、
僕はご縁があって「寅さんくらぶ」なるものにも参加している♪

そこでは、寅さんをこよなく愛する人たちと一緒に作品を鑑賞し、
観終わった後に酒を呑みながら語り合う。
変な言い方かもしれないが、そこにはいい人しかいない。
いや、寅さんを観終わるとみんないい人になってしまうか、
あるいはみんながいい人に見えてしまうのか、
もはやどっちだっていいのだけれど…(笑)

でも、少なくとも寅さんには、

「人間って、やっぱいいよね」
「人間って、なんか可愛いよね」
「生きるって、いいよね」

そう、感じさせる「何か」が、きっとあると思う。
子供の頃、おじいちゃんに付き合って寅さんを観に行った。
テレビでも観させられた。
ちっとも面白いとは思わなかったけど、でも、
なんか家族で寅さんを観ているその「お茶の間」は、
いつだって「笑い」と「幸福感」に包まれていた。
だから、文句を言わずに付き合っていた。

寅さんは、自分を下げて、笑い飛ばす。
でもいつだって寅さんは、人を幸せにする。
四角くて大きな笑顔と一緒に、人に幸せを運んでくる。

だから僕は、寅さんに憧れる。
教育を志す者として、そして人間として、
自分を大きく見せようなんてこれっぽっちも考えないで、
それでいて、人に幸せを運び、生きる勇気を贈る。

寅さん、僕はあなたのようになりたい。
あなたのような精神であり続けたい。

最後に、この本の中から僕が感動した言葉をご紹介する。
少し長いけど、もし良かったら読んでみて欲しい。

(第2章89P)
自分はフーテンである、自分はヤクザである、自分はあぶくであり、
社会のクズとして生きてきた、「ごめんなあ」と、
心の底から自覚している者こそ、いざとなった時、
不測の出来事に遭遇した時、自分を捨てた者のために生きることが出来る、
人生のパラドックス(逆説)がここにある。

(エピローグ286P)
滑稽さの中にある温かさ、フーテンの姿をとり、道化の姿をとり、
自己を笑い飛ばしながら自己を無化し、一方で冷たい現実を冷徹に見据え、
その時代が盲目的にのめり込んでいる誤った価値観を、
ユーモアに包んでメタノイア(回心)に導く、
これが二人(寅さんとイエス)の姿であった。
人間性の喪失、それはイエスの時代も寅の時代も同じである。
両者は人間性の回復に障害をかけたと言っても過言ではない。
人間であること、それはどんなに豊かなことだろう。
人間そのものの中に含まれる大きな可能性、譲る心、許す心、
他者を生かす喜びを二人は教えてくれた。
果てしない利益追及に明け暮れる、ゆとりのないこせこせした生活、
時間と空間の「空白」に堪え切れず、それを埋め続ける現代人に、
「暇」だらけの、時代遅れの寅が、自らぶざまな姿を示しながら、
「そんなに急いでどうするんだ、空を切ってるよ」と気づかせてくれた。
イエスもまた自ら型破りの人生を送りながら、生涯、
破れに敗れた姿を示しながら、当時の誤った価値観、歪んだ人間性に、
ユーモア混じりの皮肉で喝を入れ、立ち上がりの機会を与えてくれた。

寅さんとイエス。
素晴らしい「愛」の姿が、ここにあると感じさせられた一冊でした。

;寅さんとイエス (筑摩選書)