様々な企業で教育に携わっている中で、いつも思うことがある。
起こっている現象(シェア、売上推移、顧客の購買理由、満足度…等々)に対して、仮説としてではなく、あたかも正解のように、その現象に対する要因を語る、というようなことが頻繁にある。
数字だって、正確じゃない。なのに…
「どうしてそういう数字なんですかね?」
と訊くと、〇〇だからですね!と、確信に満ち溢れ
た表情で答えられる場面が、ものすごく多いわけです。
サイエンスライターの竹内薫氏が書いた、
「99.9%は仮説」っていう本があるんだけど、そこ
には、世の中の現象のほとんどは仮説でしかない、
だから、飛行機だって「この原理でいけばおそらく
安全に跳べるだろう」という仮説で飛んでるって書い
てある。…めっちゃ怖いけど。。。
世の中の現象のほとんどが仮説なんだとしたら、
全ての事実に対して「かもしれない」という語尾を
くっつけなくちゃならないはずだ。
なのに、数字の根拠を尋ねると「〇〇だからです」
と、正解のように答えてしまう。
こういうことって、もちろん他人事じゃない。
あいつってこういう奴なんだよ!とか、どうせ
こうなるでしょ?とか、僕たちは頻繁に物事を
決めつけ、思い込み、確信に満ちた回答をする。
多くの人は、事実を疑わない。
「そうかなー?本当かなー?」とは考えない。
いや、考える習慣を持っていない。
なぜだろう?
以前にも書いたけど、大阪大学教授の平田オリザ氏
の著書に、「わかりあえないことから」という本が
ある。
この本にはこんなことが書いてある。
「人のことなど分かる筈がない。」
「人と人とは、分かり合える筈がない。」って。
現象の向こう側や、人の向こう側には隠されている事実
があって、表面的に見えていることで判断することなんて
できる筈ないよー!ってことが書いてある。
僕が授業等で「人と人とは、わかりあえない!」って言うと、
多くの人が若干ショックを受けたような表情をする。
だけど、少し説明すると誰でも理解するわけ。
なのに、中々行動には移せない。
コミュニケーションって、面倒くさいから?
目の前にいる人の言動行動や、起こっている現象に対して、
「本当にそうかな?」「どうしてそうなんだろう?」
って、考え続けることって、やっぱり面倒だから?
だけど、面倒なことをスルーしてしまうと、
わかりあえないどころか、わかっている「つもり」に
なってしまって、結局は何も理解できないまま、
問題の本質には近づけない。
だから、問題の本質は解決されることなく、延々と
続いていく。
そんなことだって、考えれば誰だってわかるはずなのに、
でも僕たちは面倒臭さを引き受けることなく、決めつけ、
思い込みながら、現実を生きてる。
じゃ、どうすればいいんだろう?
ってことを考えながら書いた本が、このドラマネなのだ。
高い高い目標を掲げ、チームで目指す。そう、例えば
甲子園を目指すとか。
そういう時には、仲間でぶつかったりする。
普段は面倒臭いから避けているコミュニケーションも、
こういう環境では避けられないってことがある。
だから、部活ってドラマがあるんだって思う。
それから、上司と部下のコミュニケーションだって、
お互いの言動や行動の向こう側にある、一人一人の
ドラマを「知る」ことで、急速に近づいたりもする。
そんな、事実の向こう側にあるドラマを意識するため
の方法や考え方について、ずいぶん悩みながら書いた。
2011年に書いた本だから、今読み返すとまだまだ書き
直したり、書き足したりしたいところがたくさんある。
でも、結構いい本だと思う。
自分で言うのもなんだけど(笑)
人は、必要とされることが必要だ。こんな言葉から、
この本は始まる。
この言葉は、今でも僕の人生の指針だ。
まだまだ足りないことだらけだけど、改めて読み直して
みて、もっと頑張らなくちゃ!って勇気をもらえた。
是非、読んでみて欲しいと思う。