この小説には、「人生」がある。
もしかしたら、僕たちにはあまり縁が
ない人生かもしれないけれど、でも、
確かに「生きている」主人公たちの、
壮絶な人生の物語が、ここにはある。
この、凄まじくも愛おしい彼らの人生の
中に、僕たちは「生きる」ことの意味を
考えさせられる。
「堕ちる」という言い方もできるけれど、
僕たちだって、この「堕ちる」こと
「堕ちて行くこと」と、隣り合わせに
生きているのかもしれないと思う。
阿刀田高の解説に、こんなくだりがある。
(以下、解説より引用)
明治・大正期の女性運動家・平塚雷鳥の
マニュフェスト「元始、女性は実に太陽で
あった。真正の人生であった。今、女性は
月である。他によって生き、他の光によっ
て輝く、病人のような青白い顔の月である」
(中略)現代では女性ばかりでなく男性も
みんな月になってしまったのかなあ、と
考えさせられてしまう…と。
(以上、引用)
僕たちは、あるいは「月」のような生き方
をしているかもしれない。
でも、少なくとも僕はこのような生き方を
マイナスだとは思わない。
月のように、他の光によって輝くことは、
儚いけれど人間の可愛さで、魅力でさえ
あると思う。
誰かに応援され、誰かに支えられることで
こそ、人はささやかだけれど確かな「煌き
(きらめき)」を放つことができる。
そんな、人間の耀き(かがやき)を、僕は
愛したいと思う。
月並みな言葉かもしれないけど、この小説
にはそんな、「生きることの儚さと愛おしさ」
が詰まっているように感じる。
ふー、人生って儚い。
でも、懸命に生きることは愛おしい。
また、好きな小説に出会えた気がする。