亡くなってしまった人と、たった一人
だけ会うことができるとしたら、誰に
逢いたい?
「おばあちゃん」
妻がそう言った。
でも次の瞬間、
「でもやっぱりいいや」
「どうして?」
「逢うと、もっと寂しくなるから」
「不在」の圧倒的存在感。
もうここにいない、ということ、
もう二度と逢えない、ということ。
覚悟を決めたはずなのに、
再び逢ってしまうと、その不在を
さらに鮮明に意識しなければならない。
だから、「寂しい」と言ったのだと思う。
だけど、この本の中の登場人物たちは、
それぞれ、様々な反応を示す。
死者と再び逢ったことによって、
生きる勇気を得る人もいれば、
その「不在」を背負って生きる重さを
知り、呆然と立ち尽くす人もいる。
でも、いずれにしても死者と再会する
ことを通じて、人々は人生を生きる
ことをもう一度考えることになる。
たまたまだけど、僕の周りには
葬儀関係の方々が多くいる。
だから、というわけではないけれど、
葬儀という儀式は、ある意味では、
「不在」の圧倒的存在感を感じて、
生きている人たちが「生きること」
についてもう一度考えるための儀式
として、あるいは、葬儀そのものが、
この物語で言う「使者(ツナグ)」の
役割を担っているのかもしれないと、
考えさせられたわけです。
辻村深月の世界は、面白いな。