本当の大人というのは、自分のすること、なすこと、
必ずしも正しくないということを身にしみて知っている存在である。
(エッセー集『勇気ある言葉』か
さて、海と毒薬について書こう。
人は、環境によって善にも悪にもなりうる。
そう、強く感じさせられる作品だった。
主人公「勝呂」は、自分の意志で行動することを通じて、
苦しみを自分の中に抱えて生きる覚悟をしている。
生きることとは、罪を背負うことへの覚悟であり、
そこにこそ、赦し(ゆるし)がやってくるのではないか?
選択する(意思を持つ)ということは、間違いだらけ、
失敗だらけかもしれない。
でも、間違いや失敗も引き受けて生きるという覚悟の中に、
神は「赦し」を与えてくれるのではないだろうか?
作家、遠藤周作の葛藤が、ここに現れているように思う。
勝呂は、引き受けた。
折戸は勝呂の行動によって、
引き受けるかどうかを試されている…。
僕にはそう見える。
ここに、遠藤の生き様と覚悟が見えたような気がする。
遠藤自身もまた、作品を通じて社会に倫理を問うという、
ある意味折戸と同じ「側」にいる。
と言うことは、自身の「表現」が誰かを傷つけ、
死に至らしめることだってある。
遠藤は、そう自分に責任を課しているのではないかと、
そう思えるわけです。
ある意味、遠藤は勝呂でもあり、折戸でもある。
そんなことを感じながら、何度も読んだ作品です。
2015年5月4日付の朝日新聞に、遠藤周作のことが書かれていた。
そこに、こんな言葉を見つけた。
「本当の大人というのは、自分のすること、なすこと、
必ずしも正しくないということを身にしみて知っている存在である」
(エッセー集『勇気ある言葉』から)
僕自身もまた、教育という仕事を通じて、
「引き受ける」覚悟を持って生きようと、
そう決意させられる作品でした。